22年選挙の展望・「歴代の大統領」

フィリピン日本人商工会議所
副会頭・専務理事 藤井 伸夫

 22年の総選挙は、10月1日から8日までの立候補登録届出が終わって第一段階が終了し、本稿執筆時にはそれぞれの候補者が確定する11月15日を待つ状態にあります。
比の選挙は日本と違って、町会議員から大統領まで纏めて一斉 に選ぶシステムで、日本のように統一地方選挙などはありません。中でも正副大統領の選挙は、上院議員(半数が改選)・下院議員・州知事・市町長・市町会議員が3年毎に改選されるのに比べて、6年に一度しか実施されない為に22年選挙は特に注目を集めているところです。本稿では、「国を挙げての選挙」と言われる比選挙の前段として 、歴代大統領を取り上げています。

“大統領”は 最高権力者として特別な重みを持ち 、一通りの歴史は知っておきたいところ。制度としては米大統領制などを下敷きに作られた制度で、米では 「4年任期・再選まで可」だが、フィリピンの “ピープル・パワー革命”後に制定された現行憲法では「6年任期・再選無し」となっている 点で 米の制度とは 大きく違っている。また副大統領も “ペア”・“タンデム”と言われながらも個別・独自に選出される方式で、大統領と“同じ船に乗っているとは限らない”のも 大きな 制度的な違いとなっている。
*この正副が 同じ政党・グループに属していない方式は、州知事・市長・町長に至るまで同様。

2022年の選挙は既に立候補登録の届出が10月8日に終了し、取下げ ・本人死亡による立候補者入替が11月15日迄認められている。投票日は2022年5月の第二月曜日である9日と決められていて、選挙の季節のクライマックスを迎えようとしているが、ここらで過去の歴史を概観しておくのも良いだろう。尚、“王朝政治”は憲法で禁止とされているが、親等間の近さ・期間の隔たりなどの細部は具体的な法律に委ねることになっていて、憲法制定から22年以上経過しているが法律は未だに制定されていない。

では、歴代大統領の「副大統領」「基本とした政体・憲法」「任期」「出身地」「略歴」などを記すが、歴史的には「副大統領」が最も“次期大統領に近い”(16人中6人)ことにも留意されたい。

初代 エミリオ・アギナルド

(副:マリアーノ・トリアス、カビテ州の地名“ジェネラル・トリアス”に名が残る)
・第一共和制(“マロロス”憲法~ブラカン州マロロスで制定されたアジア初の共和国憲法)
・任期:1899年1月23日-1901年4月1日
・出身地:カビテ州

・対スペイン独立革命を主導。1898年6月12日に自宅のバルコニーで独立宣言。秘密結社“カティプナン”のカビテ支部(“マグダロ”と呼称)のリーダー。 マニラに本部のあった“カティプナン”を率いて「独立革命の頭脳」と呼ばれた アポリナリオ・マビニを初代大統領とする異説がある。当初は宗主国のスペインと戦い、米西戦争でスペインが敗れた後は米軍と戦い、山岳部へ敗走を続けた末、01年にイサベラ州パラナンで米軍に捕らえられて降伏。以後は、戦後まで政界に一定の勢力を維持し続けた。
カビテ州カーウィットにある独立宣言を発した自宅は、アギナルド・シュラインとして学童・生徒の校外学習のメッカとなっている。

・アキノ政権でのアバヤ運輸通信相は曾孫になり、ミドル・ネームの「A」に名前が残る。

第2代 マニュエル・ケソン

(副:セルジオ・オスメーニャ)
・コモンウェルス(自治)政府 初代大統領
・任期:1935年11月15日-1944年8月1日
*35年憲法=コモンウェルス憲法は、4年任期で再選まで可。1期目終了を脱出先のコレヒドール島で迎えたが、選挙不能の為2期目も継続就任。
・出身地:オーロラ州
・対アメリカの独立運動を長く主導し、半独立のコモンウェルス政府創設に漕ぎ着けた。日本軍の侵攻でマッカーサー米比軍司令官と共にコレヒドール島に逃れた。その後、豪経由でアメリカに渡りニューヨークで亡命中に、コレヒドール島への脱出前から罹患していた結核により病死。

第3代 セルジオ・オスメーニャ

(副:選挙未実施の為、空席)
・コモンウェルス政府 第2代大統領
・任期:1944年8月1日-1946年5月27日
・出身地:セブ州
・日本軍の侵攻で ケソン大統領と共にコレヒドール島へ脱出し、米への亡命にも同行。 病死したケソン大統領の後を継いで副大統領から44年に昇格。 第二次大戦の終盤に マッカーサーと共にレイテ島に上陸してタクロバン市でコモンウェルス政府復活を宣言。 比最古の政党であるNP(ナショナリスタ・パーティ)の創設者で、前与党のLP(リベラル・パーティ)は その分派。
・第16議会(13-16年)まで孫のオスメーニャ氏が上院議員として活動。

#就任年月日によって、後記のラウレルを第3代とするケースもあるが、正統性を考慮する立場からはオスメーニャが第3代大統領。

第4代 ホセ・ラウレル

(副:43年憲法に規定無し)
・第二共和制 大統領 日本がスポンサーとなった43年憲法に拠る
・任期:1943年10月14日-1945年8月15日
・出身地:バタンガス州
・コレヒドールに脱出した ケソン大統領の命令でマニラに残留し、侵攻してきた日本に対応。 日本の傀儡政権首脳といわれた。
・父はアギナルド大統領の第一共和制の要員で、アジア初の共和国憲法“マロロス憲法”に署名が残る。
・1935年憲法制定時の議会で“七賢人”の一人とされ、最高裁判事に就任していたが子息が日本の士官学校に就学していたのと、東大の名誉博士号を得ていた事もあって日比の“繋ぎ役”として選出。
・終戦間近の1945年3月、日本軍の指示により台湾経由で日本に渡り 奈良ホテルで終戦。マッカーサーにより戦犯指定を受けて服役したが、46年7月に釈放されて帰国。フィリピンでは反逆罪に問われたが ロハス大統領による恩赦で釈放。

*日本での滞在に同行していた中に、アキノ前大統領の祖父であるアキノ下院議長がいた。1949年大統領選でキリノに敗北後、1951年に上院議員。マグサイサイ政権で対米通商交渉に従事。以後、一族の設立したライセム大の経営に専念。ラウレル現駐日大使は孫になる。

第5代 マニュエル・ロハス

(副:エルピデオ・キリノ)
(独立前)
・コモンウェルス政府 第3代大統領
・任期:1946年5月28日-1946年7月4日

(独立後)
・第三共和制 初代大統領
・任期:1946年7月4日-1948年4月15日
・出身地:カピス州
・1913年の司法試験トップ合格者。コレヒドール島に脱出したケソン大統領から官房長官に任命され、正副大統領の2人共が日本軍の捕虜となるか殺された場合には 後継者に指名されていた。ミンダナオでの反日ゲリラ活動中に逮捕され、ラウレル大統領のチーフ・アドバイザーに就任し、日本への逃避行に同行し終戦を迎えた。
・戦後初の選挙時にNPの分派としてLPを結成し、選挙運動をやらなかったオスメーニャ大統領に勝ってコモンウェルス政府最後の大統領となり、米からの独立後の初代大統領。任期中にクラーク基地で心臓発作により死亡。
・孫に、10年大統領選でアキノに大統領候補を譲り副大統領選に回ったマール・ロハスがいるが、副大統領に落選し、16年大統領選には出馬するもドゥテルテに敗れ、“悲劇の大統領候補”と言われた。

第6代 エルピデオ・キリノ

(副:フェルナンド・ロペス)
・第三共和制 第二代大統領
・任期:1948年4月17日-1953年12月30日
・出身地:ラウニオン州
・ロハス大統領の死後、副大統領から昇格。 選挙にも勝って1期。第二次大戦中に妻と5人中3人の子供が日本軍に殺害された(米軍の爆撃死との異説あり)為に対日強硬派で、日本に対する強硬な賠償要求をBC級戦犯の処刑によって強要したが、米の介入で処刑は中止。末娘の日本兵による殺害を(有名な)“空中刺殺”と非難。

第7代 ラモン・マグサイサイ

(副:カルロス・ガルシア)
・第三共和制 第三代大統領
・任期:1953年12月30日-1957年3月17日
・出身地:ザンバレス州
・清廉潔白な人柄で農地改革などに取組んでいたが、任期中にセブ州のマヌンガル山への飛行機墜落事故により死亡。“アジアのノーベル賞”と言われるマグサイサイ賞に名前を残し、記念財団が広くアジア諸国から受賞者を毎年5人選定。
・第13議会(04-07年)まで孫が上院議員に居た。

第8代 カルロス・ガルシア

(副:ディオスダド・マカパガル)
・第三共和制 第四代大統領
・任期:1957年3月18日-1961年12月30日
・出身地:ボホール州
・マグサイサイ大統領の死後、副大統領から昇格。 選挙にも勝って1期。

第9代 ディオスダド・マカパガル

(副:エマニュエル・ペレス)
・第三共和制 第五代大統領
・任期:1961年12月30日-1965年12月30日
・出身地:パンパンガ州
・アセアン創設に功績。
・GMA(グロリア・マカパガル-アロヨ)と略称される第14代大統領で後下院議員は娘になる。

第10代 フェルディナンド・マルコス

(副:アルトゥロ・トレンティーノ)
・第三共和制 第六代大統領
・任期:1965年12月30日-1973年12月30日(69年に再選)
*2期目の1972年に憲法を停止して戒厳令を施行。73年憲法を制定して独裁政権に移行。
・第四共和制 初代大統領
・任期:1981年6月30日-1986年2月25日(81年、86年に再選)
*73年憲法は再選禁止規定無し。
・出身地:北イロコス州

・ロハス大統領のテクニカル・アシスタントから、下院議員・上院議員を経て大統領に。69年に再選後、72年の戒厳令から新憲法を制定して第四共和制に移行。20年余に亙って大統領の職にあり、独裁政権を維持。 司法試験のトップ合格者でもあり、「歴代大統領で良かった人は?」との質問には、「初期のマルコス」と回答する者が多い。
・妻のイメルダは下院議員を引退したが、長女のアイミーは現上院議員。長男のボンボンは前上院議員で、19年副大統領選でロブレドに惜敗して大統領選挙法廷で当選を争ったが敗れ、22年にはそのロブレド副大統領と大統領選で激突する見込み。

第11代 コラソン・アキノ

(副:サルバドール・ラウレル=第4代ラウレル大統領の子息)
・第五共和制 初代大統領
・任期:1986年2月25日-1992年6月30日
*87年憲法では“独裁(マルコス)の再来”を恐れて再選禁止に。
・出身地:ターラック州
・夫のベニグノ・アキノ上院議員の暗殺後、“ピープル・パワー革命”で主婦から大統領に。
在任中は6回のクーデタ事件に遭遇。 87年に新憲法制定して第五共和制に移行。実家はターラック州のルイシタ大農園を経営していたコファンコ家。 2009年8月に死去し、“弔い人気”もあって2010年で息子のアキノ前大統領の当選に大きく寄与。
・唯一の息子のアキノ前大統領は、独身のまま21年6月に死去。

第12代 フィデル・ラモス

(副:ジョセフ・エストラーダ)
・第五共和制 第二代大統領
・任期:1992年6月30日-1998年6月30日
・出身地:パンガシナン州
・“ピープル・パワー革命”の立役者の一人。当時は軍参謀次長で、エンリレ国防相(当時、その後上院議員を長く務めたが現在は引退)と共にマルコス元大統領と袂を分かった。 産業政策を転換し工業立国化を図った。FVRの略称で親しまれている。1992年の大統領選で争った故サンチャゴ上院議員とは“犬猿の仲”だった事が有名。歴代大統領で唯一のプロテスタント。

第13代 ジョセフ・エストラーダ

(副:グロリア・マカパガル-アロヨ)
・第五共和制 第三代大統領
・任期:1998年6月30日-2001年1月20日
・出身地:NCR、サン・ファン市
・映画俳優出身で、地すべり的な勝利で当選したが、汚職などで弾劾裁判にかけられたが辛うじて免れたものの、“第二ピープル・パワー革命”の最中に辞職。 裁判で有罪となるも恩赦で放免。 略称はERAPで、その後マニラ市長を2期務めた。
・正妻で前上院議員のエヘルシト女史との子が エストラーダ前上院議員(通称ジンゴイ、俳優出身)、“ミストレス”の グイァ・ゴメス・前サンファン市長との子が エヘルシト前上院議員(通称JV)で、双方とも22年上院選に出馬。

第14代 グロリア・マカパガル・アロヨ

(副:テオフィスト・ギンゴナ-残任期のみ、ノリ・デ・カストロ-04年6月から6年間)
・第五共和制 第四代大統領
・任期:2001年1月20日-2010年6月30日
*エストラーダ前大統領の残任期(04年6月30日まで)を勤めた後、選挙で1期。
・出身地:パンパンガ州
・第9代大統領の娘。 最高裁のエストラーダ大統領辞職宣言後、副大統領から昇格。
04年選挙でERAPの盟友で映画俳優のフェルナンド・ポーJr(FPJ)と争って勝ち、1期。得票操作が行なわれたとFPJが訴えたが、裁判中にFPJが死亡して公訴棄却。 22年選挙では息子の後を継いで下院議員に出馬。
・大統領の現職当時は 義弟・息子2人と一族に3人の下院議員がいた。

第15代 ベニグノ・アキノ三世

(副:ジョジョマール・ビナイ)
・第五共和制 第5代大統領
・任期:2010年6月30日-2016年6月30日
・出身地:ターラック州
・暗殺されたベニグノ・アキノ上院議員と第11代コラソン・アキノ大統領の間の唯一の息子。軍のクーデタ事件の際に首に銃創を受け、弾が残ったままだった。母の死去で上院議員からLP党首のロハス上院議員(当時、副大統領選に回ったが落選)に代って大統領選に急遽出馬し当選。前政権の汚職構造の改革を第一優先にしたが、上院議員時代に法案を1本も提出しなかった事で有名。21年6月に独身のまま病死。

第16代 ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ

(副:レニー・ロブレド)
・第五共和制 第6代大統領
・任期:2016年6月30日―2022年6月30日
・出身地:南レイテ州マアシン
・法律家の父と教師の母の間に生まれ、幼少期にダバオ市に移住。サン・ベダ大卒で弁護士資格を取り検察官から政界進出。ダバオ市長(通算7期)、副市長1期、下院議員1期務めた経験あり。ダバオ市長時代には、数々の武勇伝がありDDS(ダバオ死の処刑団)の黒幕とされ大型バイクで犯罪撲滅に活躍。麻薬犯罪取締り・汚職撲滅をスローガンに16年大統領選で勝利し、任期終盤まで従来に無い高い支持率を維持。妻(婚姻取消)との間に、下院議員の長男パオロ、ダバオ市長の長女サラ、副市長の次男セバスチャンがおり、コモンロー・ワイフとの間に次女がいる。

#出身別では、ルソン地域 12人・ビサヤ地域 3人・ミンダナオ地域 1人。

 

#他国の大統領制で見られる「首相」について簡単に触れておくと、次の通り。

1)革命政府時代と第一共和制(アギナルド大統領時代)
アポリナリオ・マビニ(初代)
・“独立革命の頭脳”と呼ばれ、秘密結社カティプナンの代表。
アギナルド大統領に乞われて革命政府に参加。政体確立など第一共和国の建設に尽力したが、パテルノに代表される穏健派との抗争に敗れて失脚。第一共和国崩壊後に捕らえられ、グアム島に流刑。

ペドロ・パテルノ(第2代)
・革命政府の穏健派代表で、革命派のマビニを追い落として首相に就任。 その後第一共和国は米に敗れて崩壊。

2)日本占領時代の第二共和制(ラウレル大統領時代)
ホルへ・バルガス(第3代)
・コレヒドール島への脱出に当って、ケソン大統領から対日本軍の交渉役に指名され、日本軍から「大マニラ市長」に任命され、ラウレル大統領の下で首相に就任。
・アキノ(前大統領の祖父)・レクト(現上院議員の祖父)らと共に、反米民族主義を代表する政治家。

3)マルコス大統領時代の第四共和制(当初はマルコス大統領が首相を兼任)
セサール・フィラタ(第4代)
・1981年6月30日から1986年2月25日。
・マルコス独裁政権下で、財政・金融を主導したテクノクラート。アギナルド初代大統領の一族で、現在も官界・財界の“ご意見番”として力を持つ。

4)ピープル・パワー革命後のアキノ大統領時代
サルバドール・ラウレル(第5代)
・1986年2月25日から同年3月25日の1ヶ月間。
・祖父は革命政府の内務大臣で、第二共和制のラウレル大統領の子息。コーリー・アキノ大統領の下で、副大統領・首相・外相の3ポストを占めた。(首相職は86年3月に廃止)
・2004年1月27日、引退生活を送っていた米で死去。

 

以上